現場の「属人化」をどう解くか──暗黙知をAIで形式知化する最新アプローチ
この記事の要点
- 設備保全の現場では、ベテランの「勘と経験」に依存する属人化が深刻化。製造業の34歳以下の就業者はこの20年余りで約3割減少し、技能継承の猶予は年々狭まっています。
- 動画マニュアルを導入しても「結局は先輩に聞く」が約87%という調査も。”記録するだけ”では暗黙知は伝わらないのが実情です。
- 2026年は、AIエージェント・3Dスキャン・組織づくりで暗黙知を形式知化する取り組みが続々登場。NEDOの研究開発事業でも属人化の解消は主要テーマです。担当者は「何を・どの手段で残すか」を設計する段階に入っています。
▶ 「あの人にしか分からない」は、もう放置できない
設備の不調にいち早く気づく、図面にない配管の癖を知っている──こうしたベテランの暗黙知は、現場を支える貴重な資産です。しかし、その多くが一部の個人に集中する「属人化」は、退職や異動とともに失われるリスクと表裏一体です。2026年に入り、この長年の課題に対して、AIエージェントや3Dスキャン、組織づくりといった具体的な打ち手が次々と登場しています。国の研究開発事業でも、属人化の解消は主要テーマの一つに位置づけられています。本記事では、最新の取り組みを整理し、担当者が明日から検討できるポイントを解説します。
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なぜ今、属人化の解消が急務なのか
背景にあるのは、構造的な担い手不足です。総務省「労働力調査」に基づく2025年版ものづくり白書によれば、製造業の34歳以下の就業者は、2002年の384万人から2024年には259万人へと約3割減少しました。製造業の就業者に占める34歳以下の割合も、31.4%から24.8%に低下しています。技能を受け継ぐ若手そのものが減るなか、ベテランの引退時期が迫り、継承のための時間的猶予は年々狭まっています。
「記録するだけ」では伝わらない
対策として動画マニュアルを導入する企業は増えています。しかし、エピソテック(Dive)が2026年6月に公表した製造業の動画活用実態調査(導入・経験層 n=841)は、現場のリアルな壁を示しています。
- 動画マニュアルを見ても「結局は先輩に聞く」が約87%
- 期待したほど活用できていない:75%/使われ続けていない:63%
- 困りごと(複数回答):「探しにくい」30%、「状況と合わない」28%、「コツが伝わらない」27%
つまり、作業を映像として「記録するだけ」では、肝心の判断のコツ(暗黙知)までは伝わりません。求められているのは、必要なときに・必要な知識を・文脈ごと引き出せる仕組みです。ここにAI活用の余地があります。
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キーワード解説:「暗黙知」と「形式知化」
| キーワード | 概要 |
|---|---|
| 属人化 | 特定の業務が一部の個人の知識・経験に依存し、他の人が代われない状態。退職・異動で業務やノウハウが失われるリスクを生む。 |
| 暗黙知 | 言葉やマニュアルにしにくい、経験的・感覚的な知識。「異音で不調を察する」「手応えで締め加減を判断する」など。 |
| 形式知化 | 暗黙知を、手順書・データ・基準値など他者が理解・再現できる形に変換すること。技能継承とDXの土台となる。 |
| 標準化 | 作業の手順・判断基準を統一し、誰がやっても一定の品質を出せるようにすること。属人化解消の出口にあたる。 |
属人化の解消とは、突き詰めれば「暗黙知を形式知化し、標準化につなげる」一連の流れです。近年は、この変換作業そのものをAIが支援できるようになってきました。なお、保全技能を国家検定として証明する機械保全技能士のような資格制度も、技能を「個人の経験」から「共有できる基準」へ引き上げる仕組みの一つです。
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解決アプローチの最前線(2026年)
2026年に発表された取り組みを見ると、属人化解消のアプローチは大きく3つの方向に整理できます。
日立製作所は2026年、熟練者の暗黙知を形式知化する品質保証向けAIエージェント「品質ナレッジシステム」を、産業向けソリューション群「HMAX Industry」の一つとして提供開始しました。熟練者が持つ100件以上の業務知見をAIに組み込み、トラブル発生時の過去事例検索や対応レポート作成を支援します。自社の大みか事業所(茨城県日立市)への先行導入では、トラブル対応事例の検索時間を約9割(1件あたり60分→5分)、対応レポートの作成時間を8割以上(120分→15分)、不具合の原因分析時間を8割以上(16時間→3時間)削減したと報告。ベテランの経験や勘に依存していた判断を、経験の浅い担当者でも再現できるようにする狙いです。また、アクセラテクノロジが2026年5月に発表した「SolutionDeskボイスエージェント」は、生成AIと音声を使い、応対ガイドラインやFAQ・マニュアル・過去事例を参照しながら現場で支援を行います。音声対話はリアルタイムに文字化・保存され、ベテランのノウハウやコツを「ヒアリングの中で自然に蓄積」できる点が特徴です。
この動きは製造業にとどまりません。エル・ティー・エス(LTS)は2026年8月、天然ガスの生産・供給を監視・制御する関東天然瓦斯開発の「指令センター」業務を支援するAIシステム「ガス・バランス・ビジュアライザー」の導入完了を発表しました。季節・天候・時間帯で変化するガス需要への対応判断はベテランの経験に依存していましたが、供給情報をリアルタイムに収集し、とるべき対応の選択肢を画面上に提示することで判断を可視化。従来2年以上かかっていた新人教育の早期化に取り組んでいます。プラントの監視・制御という、設備保全と地続きの領域での実装例です。
三興バルブホールディングス(協和商会)が2026年6月に始めた「工場コンシェルジュサービス」は、「工場長一人が設備の状況把握から修理判断・省エネ法対策まで担う」という業界共通の属人化課題に着目したものです。定期診断で劣化状況や優先順位を整理し、3Dスキャンによる工場内の可視化で修理・更新の判断を行いやすくする──個人の経験頼みだった判断を、データと第三者の知見で補う発想です。
技術継承は仕組みだけでは進みません。明電舎は2026年5月、装置工場での技術継承の課題に対し、「感謝・称賛の仕組み化」によるコミュニケーション改革でアプローチし、導入を約650名に拡大したと発表しました。ベテランが知識を教えたくなる、若手が聞きやすくなる──そうした組織風土づくりが、ツール導入の効果を底上げします。前述の調査でも、聞く側の約8割が心理的負担を感じており、”聞きやすさ”の設計は見過ごせません。
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国の動向:属人化の解消は、国の研究開発事業でも主要テーマ
属人化への挑戦は、個々の企業まかせではありません。NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)は2021年度から「5G等の活用による製造業のダイナミック・ケイパビリティ強化に向けた研究開発事業」(5GDC事業)を実施しています。この事業は、経済産業省とNEDOが公開するスマートマニュファクチャリング構築ガイドライン(SMDG)が示す57の変革課題から重点課題を選定して取り組むもので、その中には、まさに本記事のテーマである課題33「人のスキルに依存しないものづくりの仕組み」や課題35「従業員のスキル差をカバーする仕組み」が含まれています。
NEDOが公開している事例集から、属人化解消に直結する3件を紹介します。
- リョーワ(課題33ほか):熟練者の設備メンテナンスノウハウをAIでデータ化。スマートグラスのカメラ画像から対象機器・状況を判断し、対話型AIとの音声会話で必要なメンテナンス支援情報にたどり着ける仕組みを開発。ドキュメント化されていない音声・画像・映像のままのノウハウも生成AIで学習できるようにし、非熟練者の作業効率向上を目指します。
- 熱産ヒート(課題35ほか):熱処理データをクラウドで記録・蓄積し、業務の脱属人化を推進。材質・サイズ・加熱条件をキーに過去の類似データを検索できるようにし、熟練者の経験や暗黙知に頼っていた設計・提案業務を効率化します。
- ラティス・テクノロジー(課題35ほか):3D CADデータから構築した3Dデジタルツインを活用し、遠隔拠点間で同じ3Dモデルを見ながらの設計・作業方法のすり合わせや、姿勢・動作・視線などを記録した3Dマニュアルの作成を可能にします。
「国の支援事業で何が課題とされ、どんな解決策が検証されているか」は、自社の取り組みを設計するうえで信頼性の高い参照点になります。SMDGの全体像と、自社のスマート化の現在地を測る「実現レベル5段階」については、解説記事「予知保全、自社は今どの段階か──国のガイドライン「SMDG」実現レベル5段階」をあわせてご覧ください。
- まず「失うと困る知識」を洗い出す:すべてを残すのは現実的ではありません。特定の人しか対応できない設備・トラブルから優先的に棚卸しし、継承の優先順位をつけることが出発点です。
- 「記録」と「引き出し」をセットで考える:動画・文書を貯めるだけでは使われません。必要な場面で検索・参照できる仕組み(AIエージェント等)まで含めて設計すると、活用率が大きく変わります。
- 判断は「データで補う」発想を持つ:3Dスキャンや定期診断による設備状態の可視化は、ベテランの勘に頼っていた更新・修理判断を、根拠あるものへと変えます。点検記録のデジタル化はその第一歩です。
- “聞きやすい”組織づくりも投資である:ツールを入れても、現場の人間関係次第で継承は止まります。称賛・感謝を可視化する仕組みなど、文化面の施策も技能継承の一部と位置づけましょう。
- 国の事例集を「先行事例カタログ」として使う:NEDOの5GDC事業の事例集には、中堅・中小企業を含む具体的な取り組みが課題番号つきで整理されています。自社と近い課題の事例を探すことから始められます。
まとめ
属人化は、ベテランが支えてきた現場ほど根深く、放置すれば事業継続そのものを脅かします。2026年は、AIエージェントによる形式知化、3Dスキャン・デジタルツインによる判断の可視化、組織づくり、そして国の研究開発事業の成果と、複数の打ち手が出そろってきました。
重要なのは、どれか一つに頼るのではなく、「何を残すか(棚卸し)」「どう引き出すか(仕組み)」「どう聞きやすくするか(文化)」を組み合わせることです。まずは自社で”その人にしか分からない”業務を書き出すところから、技能継承の設計を始めてみてください。
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よくある質問(FAQ)
Q. 動画マニュアルを作れば技能継承は進みますか?
A. 記録は出発点ですが、それだけでは不十分です。調査では、動画を導入しても約87%が「結局は先輩に聞く」と回答しています。必要な場面で目的の知識を引き出せる仕組みや、判断のコツまで言語化する工夫を併せることが、活用のカギになります。
Q. 暗黙知はそもそもデータ化できるのですか?
A. すべてを完全に言語化するのは難しいものの、近年は生成AIとの対話やセンサーによる状態データ化により、これまで残せなかった「判断の根拠」を形式知に近づけられるようになってきました。音声で会話しながら蓄積する方式は、文書化が苦手な現場でも取り組みやすい選択肢です。
Q. 属人化の解消に参考になる国のガイドラインはありますか?
A. あります。経済産業省とNEDOが公開する「スマートマニュファクチャリング構築ガイドライン(SMDG)」は、製造業の57の変革課題を整理しており、課題33「人のスキルに依存しないものづくりの仕組み」・課題35「従業員のスキル差をカバーする仕組み」が属人化に直接対応します。NEDOの5GDC事業の事例集では、これらの課題に取り組む企業の具体的な手法が公開されています。
Q. 何から手をつければよいですか?
A. 「その人が休むと止まる業務」「一人しか対応できない設備・トラブル」の洗い出しから始めるのが効果的です。リスクの高い領域を特定したうえで、記録・引き出しの仕組みと、聞きやすい組織づくりを並行して整えていきましょう。
プレス画像
画像出典: 『2025年版ものづくり白書 概要』(経済産業省・厚生労働省・文部科学省)図3 を加工して作成