排水機場を「壊れる前に」守れるか─国交省が始めた河川ポンプのAIモニタリング開発と、広がる異常検知AI
この記事の要点
- 国土交通省の受託事業として、河川排水機場のポンプ設備を対象にした「AIモニタリングシステム」の研究開発グループ公募が2026年8月18日に開始されました(締切9月15日、1件あたり最大3,000万円程度・4件程度)。課題は「異常検知」と「寿命予測」の2本柱です。
- 背景にあるのは、昭和期に集中整備された河川ポンプの老朽化です。国が管理する排水機場は434機場・ポンプ1,281台、河川機械設備の約4割が整備後40年超。故障の約6割はエンジンと主ポンプに集中し、突発故障で出水期に数十日機能を失った例もあります。
- 国は2025年に産官学の「インフラ施設管理AI協議会」を設置し、2029年度(令和11年度)頃の直轄排水機場への実装を目指しています。一方、民間では音や振動から異常を捉える異常検知AIの低価格化・手軽化が進んでおり、工場やビルの「非常用設備」にも同じ考え方が使えます。
▶ 「いざという時だけ動く設備」を、動く前に診る
台風や集中豪雨のとき、街を内水氾濫から守っているのが河川の排水機場です。普段は止まっていて、洪水時にだけ全力で稼働する「非常用設備」は、故障の予兆を日常の運転で掴みにくい宿命を抱えています。2026年8月18日、国土交通省から調査研究業務を受託した三菱総合研究所が、排水機場のポンプ設備を対象に異常検知と寿命予測のAIを開発する研究開発グループの公募を始めました。当サイトが「実現レベル5段階」や2026年夏の民間実装事例で追ってきた予知保全の考え方が、社会インフラの機械設備に持ち込まれ、国が開発資金を出す段階に入った動きを、工場・ビルの設備保全担当者の視点で整理します。
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排水機場とは何か─なぜ「AIで診る」必要があるのか
排水機場とは、台風・集中豪雨などの際に、支川(小さな川や水路)の水をポンプで本川(大きな川)へ強制的に排水し、内水被害を防ぐための施設です。主ポンプ、それを駆動するディーゼルエンジンなどの原動機、減速機、ゲート設備などで構成されます。国土交通省の協議会説明資料(令和7年7月)によれば、国が管理する河川排水機場は434機場、総ポンプ台数1,281台、都道府県管理の排水機場も426機場あります。
昭和50年代がピーク─河川ポンプの老朽化
河川ポンプなどの河川機械設備は昭和50年代をピークに昭和期に整備されたものが多く、整備後40年を経過する施設が令和7年度末時点で約4割を占めます。堰・水門・樋門なども含めた直轄河川管理施設全体(10,810施設)では、完成後50年以上の施設が2025年3月時点で約4割、2033年に約6割、2043年に約8割へ増える見通しです。高度経済成長期の社会資本が一斉に高齢化する構図は、下水道や橋梁と同じです。
「非常用設備」ならではの難しさ
国土交通省の資料は、排水機場のポンプ設備の特徴として、機器の規模が大きいこと、施設ごとに構造が異なる特注品であること、そして台風・集中豪雨の発生時にのみ稼働する非「常用」の設備であることを挙げています。常時回っている工場の生産設備と違い、普段は管理運転でしか動かないため劣化のデータが溜まりにくく、本番で突発故障するリスクを抱えています。
実際、昭和57年から令和2年までの装置別故障割合ではエンジンと主ポンプで約6割を占め、近年は「致命的機器の損傷が突発的に発生し、部品調達等で出水期間中に数十日機能喪失する事例」が多いとされます。資料の事例では、経過18年のポンプで異物噛み込みによる軸受の異常摩耗から異音が発生して非常停止し、部品製作と工場持ち帰り整備で復旧まで約8か月、その間は排水ポンプ車3台で凌いだとあります。点検費用も年点検が大型排水機場で約1,000万円(20人×5日)、月点検が約300万円と小さくありません。現状は、こうした点検で計測した振動・温度をトレンドグラフに整理し、職員が劣化傾向を読んで修繕・更新を判断しています。「人が点検時に測り、人が傾向を読む」から「センサーが常時測り、AIが傾向を読む」へ。これが今回の研究開発が目指す転換です。
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国の動き─協議会の設置から研究開発グループの公募へ
国土交通省と土木研究所は、排水機場にセンサーを設置して運転時のデータを収集する状態監視と、AIを活用した異常検知の研究開発を進めてきました。すでに全国25か所の排水機場にセンサーを設置し、主ポンプの軸振動変位や振動加速度、異常発生時の弾性波(AEセンサ)、吐出圧力、エンジンの気筒温度、潤滑油中の鉄粉濃度などを計測しています。ただし国自身が、AI開発に使える運用データの量と質が足りないこと、AIベンダーは設備の知見が、ポンプメーカーはAIの知見が不足していることを課題として挙げ、「国土交通省による個別の業務委託での取り組みだけでは不十分」と判断。産官学が連携する枠組みとして設けられたのが「インフラ施設管理AI協議会」です。
排水機場AIモニタリングをめぐる動き
| 時期 | 内容 |
|---|---|
| 2025年7月7日 | 国土交通省が「インフラ施設管理AI協議会」の会員企業を公募(ポンプメーカー・センサーメーカー・AI開発ベンダー等)。 |
| 2025年11月28日 | 協議会を開催。議題は「排水機場維持管理の現状と将来像」。法人会員は荏原製作所・クボタ・鶴見製作所などのポンプメーカーから、東芝・日立インダストリアルプロダクツ・NEC・富士通、Hmcomm・Ridge-iなどのAI関連企業まで27社。 |
| 2026年8月18日 | 三菱総合研究所(PMO事業者)が国土交通省受託事業として「AIモニタリングシステム」研究開発グループを公募開始。締切は9月15日12時、選定結果は9月下旬から10月上旬に通知予定。 |
| 2026~2028年度 (令和8~10年度) |
研究グループの結成とAI異常検知システムの研究開発(協議会説明資料のスケジュール想定)。 |
| 2029年度(令和11年度)頃~ | 国土交通省が管理する河川排水機場への実装を目指す。以降は運用・評価を通じて継続的に改善し、自治体のインフラ施設や民間の産業機械等への展開も予定。 |
今回の公募で開発するもの─「異常検知」と「寿命予測」の2本柱
公募ページによれば、採択された研究開発グループは、排水機場から取得される状態監視データ・点検結果・故障履歴などを活用し、次の2つの研究開発課題に取り組みます。
- 課題A:異常検知システムの開発─A-1 異常検知・異常要因分類モデル開発のためのデータ開発/A-2 異常検知モデル開発/A-3 異常要因分類モデルの開発
- 課題B:寿命予測システムの開発─B-1 リスク診断・寿命予測モデル開発のためのデータ開発/B-2 現状の健全性・故障リスク診断モデルの開発/B-3 中長期的な残存寿命予測・故障確率予測モデルの開発
原則として課題AとBの両方に包括的に取り組むことが求められ、AIモデルのための「データ開発」(A-1・B-1)は必須です。応募できるのは「ポンプメーカーおよびAI開発ベンダーが連携した研究開発グループ」で、センサーメーカーや大学・研究機関が加わることもできます。事業費は1件あたり最大3,000万円(税込)程度、採択は4件程度。成果は「民間企業のノウハウ、営業秘密、独自アルゴリズム等に配慮しつつ、必要に応じて国土交通省のホームページ等で公開する予定」です。
注目したいのは、「異常を見つける」状態監視と「寿命を予測する」劣化診断を分けて設計している点です。当サイトが紹介してきたSMDGの「実現レベル5段階」に当てはめれば、課題Aは設備の状態に基づいて保全を判断するレベル3、課題Bは多頻度解析による最適化を目指すレベル4に相当します(編集部による整理)。最初から「データ開発を必須」としている点も示唆的で、AIそのものより学習に使えるデータの整備が一番の壁だという認識が、公共インフラの世界でも共有されていることを示しています。
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おさえておきたいキーワード
| キーワード | 概要 |
|---|---|
| 排水機場 | 台風・集中豪雨時に支川の水を本川へ強制排水し、内水被害を防ぐ施設。主ポンプ・原動機(ディーゼルエンジン等)・減速機・ゲート設備などで構成される。国管理434機場、都道府県管理426機場。 |
| 状態監視保全(CBM) | センサーで設備の振動・温度・圧力などを計測し、その状態に基づいて保全時期を決める考え方。決まった周期で点検・交換する時間計画保全(TBM、時間基準保全とも)と対比される(詳しくは用語集「CBMとTBMの違い」)。 |
| 異常検知・異常要因分類 | 正常時のデータから外れた振る舞いを捉えるのが異常検知、その異常が軸受の摩耗なのか異物の噛み込みなのかを推定するのが異常要因分類。国交省の研究事例ではOne-Class SVMやLOFといった機械学習手法が用いられている。 |
| 残存寿命予測・故障確率予測 | 設備が今後どれくらい使えるか、一定期間内に故障する確率はどれくらいかを推定すること。修繕・更新工事の優先順位づけや予算計画に直結する(予知保全の中核要素)。 |
| インフラ施設管理AI協議会 | 国土交通省が2025年に設置した産官学の協議会。ポンプメーカー・センサーメーカー・AI開発ベンダー等の法人会員と、学識者・土木研究所・河川ポンプ施設技術協会等の委員で構成。当面は「研究推進WG」で国としての研究方針や運用データの提供方針を検討する。会員費用は不要。 |
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民間で進む「音・振動で異常を捉える」AIの低価格化・手軽化
国の研究開発が「重要インフラ向けに、データ基盤から作り込む」方向だとすれば、民間では「既存設備に後付けで、安く早く始める」方向の異常検知AIサービスが相次いでいます。国交省の故障事例が「主ポンプからの異音」で非常停止に至ったように、音と振動は回転機械の異常が最初に現れる場所です。この夏発表された3つの事例を、「検知する」「劣化を測る」「要因を説明する」という切り口で見てみましょう。
Hmcomm株式会社は2026年8月5日、東邦ガスエナジーエンジニアリング株式会社が熱供給事業に関連する設備機器の監視に異音検知AI「FAST-D(モニタリングエディション)」を導入し、設備監視を開始したと発表しました。正常時の音をあらかじめ学習し、稼働中にそれと異なる音をリアルタイムで検知する仕組みで、外れ値検知モデルを自動作成して異常の兆候を捉えます。クラウド連携・遠隔監視にも対応し、多拠点展開にも適しているとしています。なお同社はインフラ施設管理AI協議会の法人会員でもあり、民間の異音検知技術が公共インフラの議論の場にも入ってきています。
株式会社D’isumは2026年7月9日、オンライン故障予知サービス「D’Insight_FP」を7月から全国で提供開始したと発表しました。機械設備の音や振動をスマートフォンで採取し、端末内で一次処理・圧縮してクラウドへ送信。クラウド側のAIが初期状態からの乖離量を「劣化指標」として表示し、その傾斜変化と劣化量から警報を出す仕組みです。対象は動力部分、ファンや回転部分、バルブなど「故障すると影響の大きい箇所」。費用は初期費用約50万円・年間利用料約50万円、導入準備は1週間程度と案内されており、専用センサーの常設を前提としない「まず測ってみる」型の入口といえます。
株式会社アトラックラボは2026年8月4日、大規模言語モデル(LLM)を搭載したマルチモーダルAI設備診断システムを開発したと発表しました。カメラ映像・LiDAR・サーマルカメラなどの情報を「意味として」理解し、「雪庇はある?」「漏水している?」「ボルトは緩んでいない?」といった問いかけに答える形で、危険性の評価や推奨対応まで含めた設備診断レポートを自動生成するとしています。対象には橋梁・トンネル、プラント・工場、港湾・河川・ダムなどが挙げられ、設備ごとに専用AIを個別開発する負担を減らす狙いです(提供開始時期は発表時点で未記載)。国の公募でいえば、異常の後に「何が起きているか」を推定する異常要因分類(A-3)に近い方向性で、AIが「検知器」から「説明者」へ役割を広げつつあることを示す事例です。
3つの事例に共通するのは、「正常なときのデータ」を最初に蓄積し、そこからのズレを捉えるという設計です。国交省の公募が「データ開発」を必須としたのと同じ発想が、価格帯の違う民間サービスにも貫かれています。言い換えれば、AI導入の第一歩は高価なAIを買うことではなく、自社の設備の「正常」を記録し始めることだということです。
- 自社の「非常用設備」を洗い出す:非常用発電機、消火ポンプ、雨水排水ポンプ、予備機など「普段は止まっていて、いざという時に確実に動く必要がある設備」は排水機場と同じ難しさを抱えています。管理運転(試運転)時に振動・温度・電流を記録しているかをまず確認しましょう。
- 点検記録を「トレンド」にする:点検時の計測値をトレンドグラフに整理して劣化傾向を読む国交省の「現状」の方法は、センサーやAIがなくても表計算ソフトで今日から始められ、将来AIに学習させるデータの原型になります。
- 「正常時のデータ」を先に貯める:異常検知AIは正常データからの外れを見る仕組みが主流です。主要な回転機械の正常運転時の音・振動を定期的に採取しておくと、サービス導入後の立ち上がりが早くなります。
- 故障履歴を「装置別」に整理する:国交省は故障割合をエンジン・主ポンプなど装置別に整理して優先順位を決めています。自社でも装置・部品単位で集計すると、どこにセンサーを付けるべきかが見えてきます。
- 国の成果公開をウォッチする:選定結果は2026年9月下旬から10月上旬に通知・公表され、研究成果も必要に応じて国土交通省のホームページ等で公開される予定です。ポンプ・センサー・AIの各メーカーであれば、協議会への入会(会員費用不要)も選択肢です。
まとめ
2026年8月18日に始まった排水機場AIモニタリングの研究開発公募は、「異常検知」と「寿命予測」の2本柱で、2029年度頃の直轄排水機場への実装を目指すものです。背景には、河川ポンプの約4割が整備後40年を超え、突発故障が出水期の機能喪失に直結する切実な事情があります。国は25機場のセンサーデータを民間に開き、ポンプメーカーとAIベンダーの異業種連携で開発を進める体制を選びました。
一方、民間では音や振動から異常を捉えるサービスが初期費用数十万円で始められる段階に来ています。国も民間も、出発点は同じ「正常なときのデータを貯める」ことです。自社の非常用設備や主要な回転機械について、点検記録のトレンド化と正常データの採取から始めてみてはいかがでしょうか。「点検・診断・修繕・更新」を計画的に回すストックマネジメントの考え方が、AIという新しい道具を得て次の段階に進もうとしています。
よくある質問(FAQ)
Q. 排水機場とは何ですか?
A. 台風・集中豪雨などの際に、支川の水をポンプで本川へ強制的に排水し、内水氾濫を防ぐ施設です。主ポンプ、ディーゼルエンジンなどの原動機、減速機、ゲート設備などで構成されます。国土交通省が管理する排水機場は434機場(ポンプ1,281台)、都道府県管理は426機場あります(令和6年度時点)。
Q. 排水機場のAIモニタリングシステムはいつから実装されますか?
A. 国土交通省の協議会説明資料では、令和8~10年度(2026~2028年度)に研究グループを結成して研究開発を行い、令和11年度(2029年度)頃から国が管理する河川排水機場への実装を目指すとされています。ただし運用データの収集スケジュールが未確定のため開発期限は明確でないとも注記されています。
Q. 今回の研究開発グループ公募には誰が応募できますか?
A. ポンプメーカーとAI開発ベンダーが連携した研究開発グループが対象で、センサーメーカー、大学、研究機関が加わることもできます。協議会の会員でない法人を含む場合は2026年8月31日12時までに入会申請が必要です。公募は9月15日12時必着で、募集要領は事務局(三菱総合研究所)へメールで依頼して入手します。
Q. 河川ポンプの話は、工場やビルの設備保全に関係がありますか?
A. あります。非常用発電機や消火ポンプ、予備機など「普段は止まっていて、いざという時に確実に動く必要がある設備」は、排水機場と同じく日常運転から劣化の兆候を掴みにくい設備です。点検記録のトレンド化、正常時の音・振動データの蓄積、故障履歴の装置別整理といった国の取り組みの基本は、民間の設備保全にそのまま応用できます。
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プレス画像
画像出典: 『インフラ施設管理AI協議会(仮称)の設置について』(国土交通省)p.6 を加工して作成